共感というヘンテコ曖昧な幻想を操る新興宗教は、話題としては面白いが、「共感」という感動のトリックから抜け出るには、この妄想を破壊するしかない。
料理をつくりながら、つくった料理を食べていただく側に対して、料理人は共感を求めていない。自身の味を、突き放す様に差し出すのが筋であり、美味しいと了解を得る事があったとしても、それは、料理人の味覚への共感であるはずがない。味覚等個人的なものだからだ。いただく側は、その料理に頷くか、却下するしか選択肢はない。たかが享受にすぎない僭越が、料理人に共感したと宣うこと、これほど下卑た知覚はない。
好奇心も、関心も、つまりは愛も、原理的に、異質、違和へ注がれるものであり、その差異の徹底的な度合いというものが、眼差しのサステナビリティのクオリティーを押し上げる。前世紀後半の、組織がらみの成長増長の傍らで、「共感せよ」と魔術が施行され、眼の前を同一化させよ、気味の悪い洗脳に似た感情移入の水に浸され続けている巷はまだ健在で、異質、違和の排除に躍起になっている。それがどれほど馬鹿げたことかは、北朝鮮をみればよい。
合意形成(Consensus building)という多様な価値を顕在化させ、相互の意見の一致を図る過程は、価値や意見の差異を明晰にさせる意味があり、昨今ひとつのボヤキがイデオロギー的にしか響かない「持論」と位置づけられるのは、そもそもナショナルコンセンサスが、安易な共感で成立しないことを示している。
先進社会には差異がなくなり、均一になりつつあるという示唆も、実は魔術の内に含まれる。弛緩の続行を「仕方なく」温存させる手法でしかないわけだ。
知覚のリアリティーは、世界への慄きから発生する、生存の本能であり、鋭敏、先鋭な力の持続は、差異と違和への探索にしか培わない。一見、どこも変わらない「見かけ」を持つネイションの、実は隔離隠蔽された異質の数々へこそ、違和の知覚を与える必要がある。つまり、これは逆説的に、自らが異系、異質であると、自覚でなく知覚認識することでもある。
あなたと私は同じではないという自明によって、争いや差別は、関心、好奇心、愛へとくるりと変わる。
哀しみも嘆きもいったん深く刻印されて肉体の一部となれば、背中の黒子のように忘れることもある。下世話な笑いに囚われる時もあり、嘆きの失せたような感情に揉まれる時もある。ただ、刻印されつづけてているので、それは消えることはない。腹を空かして何を喰おうか街を徘徊する時、片足を引きずっていることに気がつかないようなものだ。
所詮、この刻印の背負いは、説明のしようが無いと、最初から諦めてもいる。どんなに自らの存在以外の理由と偶然が折り重なった結果にしろ、降ってきた真下にいたというだけの素朴さで諦めている。
その諦めは、時間の経過という事象的問題への解析放棄でもある。「もしあの時」という回想が最早何の解決にならないのと同様、積み重なるような時間の層の表象に立つ以上、粒子にならなければ、下層へ溶解浸透などできないからだ。
だからこの「汚れちまった身体」である嘆きは、老いさらばえる肉体の現実として知覚に付随し、時に些末な条件で様々に作用する。それは月並みな痛みであったり、反射、反応の契機であったり、動機であったり、あるいはまた、それ自体が固有な文脈を形成する。故に、哀しみとか嘆きといった刻印は、歓び、怒りといった刻印と違いはない痣であって、たったひとつの痣で頓着する場合もあれば、無数の痣を変哲無い顔付で隠す輩も多い。この痣は、美しいわけでもなければ、醜いわけでもない。ただ単にそうであるだけだ。
幾冊ものノートには鉛筆で縦書きに書かれた几帳面な文字で、日付もない記述があった。ところどころには植物が挟まれている。
ーサーカスのライオン使いは、鞭を振るう肉体の時間によって生きている。同じような意味で私は、削り出す時間によって生きなければならないと気づいた。完全な球体に向けて、不完全な反復を叱咤する時間。ー(中略)
山小屋は手作りの粗末なものだったが、修復を幾度も加えられており、雨水を貯める壷の外側はセメントで固められた排水の設備もあり、蛇口からは斜面の脇の沢より稚拙な設備で導かれた水が流れ出た。歩いて数分の場所には菜園があった。十年から二十年に渡って生活をしていたと考えられるが、これまでこの辺りに人が住まっていると聞いた事がない。男の遺体をこの山小屋で発見した中部森林管理局の職員は、当惑を隠さずに警察を呼んでいた。
奇異なのは、この山小屋の存在というよりも、その小屋の中に残された夥しい数の木製の球であり、おそらく亡くなった男が削り出した彫刻のようなものと考えられたが、遺体が横たわっていたベットの下、というよりも中も、小屋の床もあるいは壁の一部もが、直径3センチから15センチほどの不揃いの、様々な樹木から削りだされたと思われる球体に溢れており、その為の道具もよく磨かれた状態で枕元に並べられていた。
検死の結果、男は年齢75歳から85歳。鍛えられた肉体は実年齢よりも若かった。氏名、出生地などを示すものは何も見つからず、歯からも治療跡などなかった。死因は、腹部の打撲による膵臓破裂が原因とみられ、おそらく付近で滑落し怪我をしたまま小屋に戻り寝込んで数日で亡くなった。
当初は地方新聞の記事に小さく掲載されただけだったが、残された小屋の様子の一部が雑誌記者の写真でタブロイド紙に大袈裟に取り上げられ、ニュースは奇異な男の顛末として尾ひれを付け世界を巡った挙げ句、一ヶ月後にはドイツの画廊が小屋をそのまま買い取るという展開になり、不詳の男をいくつものメディアが調査を行った。
「現代の聖」という番組が放送されると、行方不明だった肉親かもしれないという申告が多く連絡されたが、そのどれもが亡くなった男との繋がりに根拠を欠いていた。