善良
「善良で小心。優しい平凡な親父でした。そういうとそれで全て説明は済んでしまいそうだが。
5人兄妹の末っ子で、姉が二人居て、多分幼い頃から年上に叱られることに慣れていて、むしろそうした抑圧が自分を守り包み込むものなのだと身体に染み込ませてしまったのかもしれない。だからひとつ年上の、長女で癇癪持ちの連れ合いである母親の何気なくきつい、私であったら精神を病んでしまいそうな、日々の小言も身をかわす術を心得ていると、息子の感想として冗談のように話したこともあり、母親もそれを聞いて、そうだわねと笑いながら頷いていました。
子どもだから、彼のすべてをわかっている。知っているわけじゃないと思っています。むしろわからないことのほうが多い。どうみたって贖罪の行為にしか見えない、この大量な写経などにしても、腰を痛めるほど日々の行と戒めて切迫される気持は知れない。時代の流れに照応してはいるけれど、相対的な体裁として(うちのこにかぎって)という教育方針を隠さない母親の鬼気迫る子どもたちの成長期における密着の時期、彼は父親として何を考え実践していたかはわかりません。聞いたこともない。
ただ趣味という枠を越えた書に対する熱中は、退職後のことだと思います。実際、厳格な国粋主義者の祖父と、その優秀な年の離れた、時には父親がわりになった長兄に、幼い頃に叩き込まれた、筆の仕草を、中年を終えてから、学習をはじめる青年のようにひたむきに取り組んでいたことは、家族皆が知っています。それを理解していたとは言えないが。
話が前後しますがよろしいですか。私個人の考えとして、人間が数十年も生きれば、罪のひとつやふたつ抱えるものだと思っています。その苦悩に対して、それを無かったことのように隠し続けるか、その罪に向き合うかの違いで、人間に善良という部分が成熟するのではないか。だから、父親の写経という行は、間違っているかもしれないが、そういったなにかしらの贖罪であるのだろうと思います。写経によって心が澄み渡り平静がうち広がるとは思えない。この大量の写経には、文字ひとつひとつの生成時に生まれた後悔と懺悔と許しを乞う姿そのものと考える方が、私にとっては理解できるのです。謝罪というものと贖罪というものは違うし、祈りの対象が無い者に信仰心というものは無縁であるように、ただ罪を目の前に現すことで、自他という現象に硬直した身体と精神が解かれる効果はあったんじゃないか。
事実、私にも抱える罪の幾つかがあり、思い込めば眠れなくなります。これは人間なら誰もがそうなのではないでしょうか。説明はなかったけれど、自他という相対に溶かす倫理の行為として、なにかを決心しそれが生活となることで、善良さを取り戻し、時には歯を食いしばって、やりすごす生きる術を、なんとか作りながら、笑顔を子や孫に向けていられたのではないでしょうか。
いつ頃か、私も、自分の表情がなんとも厳めしい顰め面であることを鏡の中でうっかりみつけたことがあり、こんな顔を向けられた人間はたまらないなと思いました」