October, 2009
消えない痣

 哀しみも嘆きもいったん深く刻印されて肉体の一部となれば、背中の黒子のように忘れることもある。下世話な笑いに囚われる時もあり、嘆きの失せたような感情に揉まれる時もある。ただ、刻印されつづけてているので、それは消えることはない。腹を空かして何を喰おうか街を徘徊する時、片足を引きずっていることに気がつかないようなものだ。  所詮、この刻印の背負いは、説明のしようが無いと、最初から諦めてもいる。どんなに自らの存在以外の理由と偶然が折り重なった結果にしろ、降ってきた真下にいたというだけの素朴さで諦めている。  その諦めは、時間の経過という事象的問題への解析放棄でもある。「もしあの時」という回想が最早何の解決にならないのと同様、積み重なるような時間の層の表象に立つ以上、粒子にならなければ、下層へ溶解浸透などできないからだ。  だからこの「汚れちまった身体」である嘆きは、老いさらばえる肉体の現実として知覚に付随し、時に些末な条件で様々に作用する。それは月並みな痛みであったり、反射、反応の契機であったり、動機であったり、あるいはまた、それ自体が固有な文脈を形成する。故に、哀しみとか嘆きといった刻印は、歓び、怒りといった刻印と違いはない痣であって、たったひとつの痣で頓着する場合もあれば、無数の痣を変哲無い顔付で隠す輩も多い。この痣は、美しいわけでもなければ、醜いわけでもない。ただ単にそうであるだけだ。 Share

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Posted on 29th October 2009Comments Off on 消えない痣
Black Grief

 2009年の初夏から取り組み始めた構想である「Black Grief」は、百数十ページに渡るメモと数十枚のスケッチを積み重ねて深い秋を迎えてようやくある種の明快さに辿り着いた。  簡単にいってしまえば、喜怒哀楽のごった煮から、「哀」を抽出したパッケージを考えるというもので、これは、例えば同時期、小説家の平野が構想したディヴィジュアル(分人)というものに併置できるかもしれないが、性格は全く異なる。ディヴィジュアルがアバターのような対応分離の身体ツールとすれば、このパッケージは、身体から絞り出すエキスのひとつであり、互いに干渉することを停止した澱みであり、他と対応できない孤立の氷のようなもので、固有の色彩を持つ。  もともと現実を曖昧に出鱈目に消耗するまま、成り行きに任せるような生を送ってきた反省というのも可笑しいが、個人的な経緯の総体を振り返って、喜怒哀楽にまみれた人生でしたと一言で済ますわけにはいかないと、そもそも考えた。  いかなるものにも喩えようのない哀しみ、嘆きということは、どちらかと云えば「苦」に属するかもしれないが、自身の実直且つ時空の弁えで、まずはこれだろうと4種類からひとつを選んでいた。普段から何物かに対する憤怒に纏われたむつかしい表情をしている人間も、嬉々とした躁状態が日中降りそそぐ口元の緩んだ人間も、彼らの人生全てがそのようであるはずがない。ゆっくりとした感情の変容と流れのまま、どの淵に佇む傾向が強いか弱いかの些末な傾向なのだが、表情の表象としてアイコン化されると、傾向イコール人格とされる。彼らに共通する「哀」など無いと考えたほうがよろしい。共有の哀しみは持たないが、固有の特異な「哀」は、語られないまま抱かれてある。そのまま墓まで抱きしめていくのだろうか。大きく声をあげて笑い合った後、ふいに空しさに包まれる時もある。いたって温和な人間が、実はという話もある。では、様々なのだからさまざまであるとすれば、傾向の羅列の中に溺れるだけとなる。浮き上がって、何か精製された大気を吸ってみたいという願望があったのかもしれない。「哀」を全身に染めてみるということではなく、摘出して机の上に置く。  残された時間を「哀」だけに注ぐつもりは毛頭無いが、戦争や抑圧など特異な状況などなかったとされる時代を過ごした人間に湧いたささやかな感情の形態として示すことは、観念で相対的に意味付けることを切断する力を持つとした。自身の「哀」を考える内に、こんなことだったかと新しく気づく事もあって、曖昧だった感覚が確かなものに変わる。  繰り返し選ばれ残された表象が、ひたすら黒々とするしかなかったことから「黒い嘆き」とした。ここには、だから、歓びも怒りも愉悦も笑いも無い。ただひたすら「嘆き」として選ばれたものが、その言葉のままに置かれる。 Share

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Posted on 15th October 2009Comments Off on Black Grief
手の平の球

 幾冊ものノートには鉛筆で縦書きに書かれた几帳面な文字で、日付もない記述があった。ところどころには植物が挟まれている。 ーサーカスのライオン使いは、鞭を振るう肉体の時間によって生きている。同じような意味で私は、削り出す時間によって生きなければならないと気づいた。完全な球体に向けて、不完全な反復を叱咤する時間。ー(中略)  山小屋は手作りの粗末なものだったが、修復を幾度も加えられており、雨水を貯める壷の外側はセメントで固められた排水の設備もあり、蛇口からは斜面の脇の沢より稚拙な設備で導かれた水が流れ出た。歩いて数分の場所には菜園があった。十年から二十年に渡って生活をしていたと考えられるが、これまでこの辺りに人が住まっていると聞いた事がない。男の遺体をこの山小屋で発見した中部森林管理局の職員は、当惑を隠さずに警察を呼んでいた。  奇異なのは、この山小屋の存在というよりも、その小屋の中に残された夥しい数の木製の球であり、おそらく亡くなった男が削り出した彫刻のようなものと考えられたが、遺体が横たわっていたベットの下、というよりも中も、小屋の床もあるいは壁の一部もが、直径3センチから15センチほどの不揃いの、様々な樹木から削りだされたと思われる球体に溢れており、その為の道具もよく磨かれた状態で枕元に並べられていた。  検死の結果、男は年齢75歳から85歳。鍛えられた肉体は実年齢よりも若かった。氏名、出生地などを示すものは何も見つからず、歯からも治療跡などなかった。死因は、腹部の打撲による膵臓破裂が原因とみられ、おそらく付近で滑落し怪我をしたまま小屋に戻り寝込んで数日で亡くなった。  当初は地方新聞の記事に小さく掲載されただけだったが、残された小屋の様子の一部が雑誌記者の写真でタブロイド紙に大袈裟に取り上げられ、ニュースは奇異な男の顛末として尾ひれを付け世界を巡った挙げ句、一ヶ月後にはドイツの画廊が小屋をそのまま買い取るという展開になり、不詳の男をいくつものメディアが調査を行った。  「現代の聖」という番組が放送されると、行方不明だった肉親かもしれないという申告が多く連絡されたが、そのどれもが亡くなった男との繋がりに根拠を欠いていた。 Share

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Posted on 13th October 2009Comments Off on 手の平の球
最終形態への憧憬

「路上で赤ん坊を乗せたベビーカーを押した女性に微笑みを返された時、立ち尽くしたようになって、俺はママゴトみたいな小便臭いことをやっていたんだと思った」  風彦は、膝元の小さな布団に眠る赤ん坊の髪をそっと撫でながら、瞼を下ろし半眼で暫く女のような表情で子をみつめた。   Share

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Posted on 7th October 2009Comments Off on 最終形態への憧憬