July, 2010
言葉から声 

ー 吉増:ちょっと脇道に入るかも知れませんが、ごめんなさい。武満徹さんが座談だったかな、話していたことを思い出したんですが、「詩」っていう言葉は言偏に寺と書くでしょう。変な字ですよねえ、無意識にもなにか気になってますよね。むしろ言偏に司の方がまだなんか定まるというか楽で・ ・ ・ ・ ・ 中沢:なんでなんでしょうかね、声明みたいなものが関係あるんでしょかね。 吉増:そうかもしれませんね。古代中国の屈原に「九歌」という素晴らしい作品がありますよね。ぼくはちょっと夢中になって、でこのあいだもサンフランシスコのシティライツに行って、アーサー・ウェイレイ訳の「The nine songs」を買って来て、眺めているんですが、「九歌」を読んでたり聴いたりしてて、藤堂明保氏も「これは生々しい土地の響きが残されている、そしてこの残響は・ ・ ・ 」と魅力的ないい方をされていますが、これもともと楚の人の歌で字は後からくっついたんでしょうね。それを聴いていると女の人の声がそれこそ聴こえてくるんですよね。ひとりごとか天使の声みたいに「屈原じゃないよ、これ」なんていったりしましてね。なるほど「詩」が言偏に寺と表記されるのは、後年の儒教やモラルがくっついてからの文字だなあって感じがしてました。その前の詩以前に無尽蔵に死んだ詩があったでしょうし、そういう声を漢語文化の向こうに聴き始めるというか、そういう時に来てる。ということは「詩」も「詩人」も敵というか獅子心中の虫になって来て、中沢さんのいままでいわれたことや空海論を読んでも感じるし、近藤さんの記述の問題にも感じますねえ。聴くということに非常に深く眼を沈め始めてきている。 ー間の思考、音 / 吉増剛造、近藤譲、中沢新一対談より抜粋 / 7,Jan,1986 / 現代詩手帳 Share

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Posted on 23rd July 2010Comments Off on 言葉から声 
端正というつまらなさ

「太子を見奉るに形–なる事限りなし/今昔 」「端整」 姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること。また、そのさま。「―な字」 (端整)顔だちなどが美しく整っていること。また、そのさま。「―な目鼻立ち」 どうも現在は、「端正」という響きは、少々上品な物言いに偏っているようだから、やや道徳的、倫理的な含みがある。平常のあるがままの率直さを示すには無理がある。 正しいという自覚が所作の器にすっぽりと収まるこのきちんとした姿勢は、時に憧れるけれども、然しややもすると、ひどくつまらない。時差によるスノッブな先鋭への遅れに対する皮肉を打ち消す意思が込めらる気配が濃厚で、逆にその恣意が後ろめたく滲み易い。 美と簡単に繋げるこの姿勢は、故に、美しさというものの脆弱を同じように示す。 破綻と当惑と足掻きが面白ければよいかというと、それも違う。 つまり「事実」が、これを絶えず更新して、新しいというわけか。 Share

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Posted on 16th July 2010Comments Off on 端正というつまらなさ
曖昧な話し言葉の錯乱から

逃れるため、というより言語的な認識の水平面を取り戻す意味で、享受と検証の触手を折りたたんで、書棚の懐かしいような何度も捲った本を広げると、数ページを辿るだけで静かな落ちつきが降りてくる。  外出の行き帰りに聴いていた音楽から、なるほど、静謐そうな場所を訪れたとしても実際は濃密でにぎやかな振動に包まれているはずだ、静寂はこのようにつくりだすものだといまさらに感心していた。  放り投げて破り去ったり、誰かにくれてやったり、ゴミ箱へ消えたりせずに、ほぼ30年に渡って書棚に残った本は、確かに残された理由が、その頁に明晰に残されている。これが言葉の優れたところだと、聞こえる筈のない書き言葉を囁く作家の声に、慣れ親しんでいる錯覚がむしろ心地よい。  腕前、技量、つまり道具の使い手の手並みが表象されている「本」の言葉は、読む度にこの国の言語を、言語足らしめているわけであり、それが方々へ触手を広げて目をこらし耳をすませる者にとっては、認識精神を支える港のような役割を担って、時にひどくありがたい。  ロジックのつもりの会話の中の「だってそうでしょ」「ちげえよ」「まぁ」などといった話し言葉の断片の渦の中、書面化された文字言語を眺める若者の目付きが気になり、なにかあれば自筆で手紙を書いてくれというと、「じょうだんでしょ」目を丸くして笑うのだった。彼は数時間前、丁寧語はテンプレートだと言い切ってから暫く黙りこんだのだった。  一見豊かな環境で育まれている優秀な青年たちに総じて言える脆弱さは、母国言語能力のような気がする。プラグマティックな動機と結果は真っすぐ繋がっているのだが、抽象の撓みがまるでない。 Share

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Posted on 8th July 2010Comments Off on 曖昧な話し言葉の錯乱から