May, 2010
高み

 海抜ゼロメートルとは、こんなにも高い場所にせり出していたか。下の方まで大気も澄み切って見渡せる岸壁から、海底だった下方に向けて見下ろしながら、登山家の気持ちになっていた。  海洋の水がなくなり、ギアナ高地のような場所に立って、海溝の下に構築されている街の灯りなども見え、海の水を無くすとは考えたものだ。やはりここは高いなと、繰り返し思っていた。  夢の中の感想を抱いたまま、埠頭を歩き、東京湾のここはそれほどでもないだろうと、夢との符号を海の色の変化に置き換えていた。  海底だった下方から此処まではどういった交通の手段が考えられていただろうかと、夢の続きが、すっかり気持ちのなかでは連続ドラマの態をなしているのが可笑しい。  高所恐怖と閉所恐怖を頭で考えて、だがあれも「場所の妄想」であって、恐怖の中で過ごさねば、生きねばならぬ立場であれば、恐怖よりも生存が選択され平坦な息災こそが、高地や洞窟の「場所の妄想」となる。立場が相克する場所の謂れを、ひとつに抱え込むのは土台馬鹿げているけれども、場所、あるいは土地に関して、生存が染込んだ時空を与えようとしてきたわけだと、これまでの歴史や固有名の有様が、振り返る毎に変容するに任せた。  臨海に建設される蟻の塔のような集合住宅に数千単位で住まう所帯の、若い母親たちが乳児を連れて、埠頭あたりの公園に立ち海の向こうを子供と一緒に眺めている夕暮れに、その子らは、農耕の場所も狩猟の森もない「高み」で育ち、どういった生存の柵を得るのか不思議な気持ちになっていった。 Share

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Posted on 30th May 2010Comments Off on 高み
水の机

 water deskというのは、インターフェイスビジョンとしての命名だったが、今考えてみると、小学校入学時に、学校と家庭で同時にあてがわれた「私の机」という獲得の印象がまずある。培養液のような世界の中を漂いながら、はじめてとりついた島だったともいえる。憶い返せば酷い使い方をしていた。給食のパンをなぜ机の中に隠したか。担任に机をひっくり返された時、黴びた固いパンが転がり出た。おそらく制限時間内での給食完食に対する幼い知恵は、机の中に残り物を滑り隠すことしかなかったのだろう。落書きや彫刻刀による彫り込みもあった。不満だったのは、「私の机」でありながら、その所有を中途半端なものとされ、やつの管理下での使用だけを許されていたということであり、ならば日々席を自由に選んでよいはずだったと、今でも思う。  机に座る他の時間がイーゼルの前となり、これも長い時間そうしていた。イーゼルをとうとう諦めた時、残ったのは机でしかなかった。今度ばかりは徹底的に「私の机」でなければならなかった。だが、これも家庭という共有空間では不要なものと蔑まれ、この「私の机」の固持が、結果的に離散、別居へと促したのだと考えられる。  青年の頃迄は、どういった形であれ、大人には「私の机」が必ずあるものだと錯覚していた。そんなものには興味の無い大人が大勢いるのだとわかった時、培養液の中を漂うこと自体でそれを謳歌している人の姿は動物園の驢馬だと感じていた。  水のような揺らぐ反射面を持つ、水の机には、光景ばかりではなく、文字や言葉や、勿論物理的な変化が顕現し、時には手を洗う。  そろそろ申し分の無い「水の机」を抱きしめても良い頃だと、設計をはじめるのだった。   Share

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Posted on 22nd May 2010Comments Off on 水の机
晩春

 山へ向かって走り車の窓を開けて五月も半ばに届くというのに、ひと月は季節の変化が遅れている山の色を眺め、ばんしゅんと言葉に出して、小津 (1903~1963)の「晩春 (1949) 」は、そうか、戦後まだ4年ということで、雪が消え流れて裸の樹々の溶けたように絡まり合う景色の、雨を待つ枯れきった、今見えているような時代だったのかもしれない。脈絡の無い戯言をつづけていた。父親役の笠智衆 (1904~1993)は、まだ当時45歳で、娘役の原節子 (1920~)と、16歳しか違わない、父親のラストシーンの確かに若すぎた印象を加えて思い浮かべた。荒廃感の消えない時代に、あの不相応な父と娘が床を並べ性的な印象を添えた小津は、自らの時代に対するささやかな恣意の楔のつもりだったのかもしれない。  実直素直な俳優がラストシーンに唯一不満を通し、それをまあいいと呑んだひとつ違いの小津の目つきも、まだ若いものに違いなかっただろうと、半世紀前の現代より人間の成熟が早い(外事情からも強要された)ふたりの男の盛んな気概を、29歳の当時としては作品の主題以上に追いつめられていたのではと勘ぐりたくなる原節子のメリハリのある気丈さと、男たちを窘めるような目つきが、この季節には確かに密やかに馴染む。と、フロントミラーに半分映り込んだ自分の顔から目を背けた。  雨が降り始めれば、一斉に樹々が黒くなって隙間を埋め、旺盛な光を求めて匂い立つ祭りじみた賑わいが辺りに広がるだろうが、今年のこの長い春は、廃墟を長い時間巡り歩いているような錯覚があり、時を逆行する感覚もあり、時間の経過が停止したような日々に親しみすぎたか。  秋よりも、今かもしれないと、ぼんやりあれこれを頭に転がしたままだったから、手元の意識が薄れ、戻ってみると撮影した画像は、すべて露出オーバーで、どうやら親指でカメラの背面の露出ダイヤルをぐりぐりと知らぬうちに回していたようだ。  日中は都心よりも上昇するが、夕刻から極端に下がる気温が、時間を遡行する安心感となって、ああ、まだ荒廃の中に燻り続けられると、冷たい長い夜の中ほくそ笑む。   Share

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Posted on 11th May 2010Comments Off on 晩春
塔のような

モニュンメントは制作の中途で、朝早く外に出た時に、広場の真ん中に立てられたそのモニュメントを、遠く離れた場所から、制作者独りが見上げている。よく知っている男だった。  低緯度であることを示す鬱蒼としたジャングルが、簡素な家々の背後を取り囲み、しかし、広場のような丸い空間は、他にも点在しており、制作者から、渡された図面には、10ほどの丸い空き地とそれを取り囲む家の図が描かれていて、彼は、此処と其処とお前のところが未完だ。と言うのだった。  こちらは、石を数人で原始的に加工した浅い記憶があった。斜めに支え合う「チビタのおでん」の先っぽのようなものをまだ地面に横たえたままだったので、図面を渡した男の、爬虫類の尻尾のような彫刻の向きを、どの方角にすべきか悩んで眠れなかったという話を聞きながら、こちらはまだ何もできあがっていない焦りばかりが膨れるのだった。  この村の住民は、樹々を組み上げよじ上って腰に蔦を巻き死を覚悟し飛び降りる成人の儀式を行う部族の末裔であり、今では流石に膝上で切ったジーンズをはき、コーラをラッパ飲みしロックに合わせて踊る程度で大人になる。儀式自体行われなくなったけれども、長老らしい白い髭の老人から、数人がよじのぼっても倒れぬように言いつかっていることを憶いだしていた。  「赤ん坊が生まれなくなったから仕方ない」  老人の呟きを聞いてから、こちらの名前を呼ばれて振り返り、さきほどの爬虫類の尻尾の塔を制作している男が、ほらと指差すので、そちらを眺めると、家々の屋根のむこうに、壊れたセスナ機の尾翼が立ち上がり、あれはないよなと、彼は笑った。  それから近寄って、互いの家族に関しての喪失を表情に漲らせてから黙り込むと、白髭の老人が、こちらふたりに向かって歩み寄り、 「あの世もこの世もかわらんだろ」と肩に手をおいた。 Share

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Posted on 8th May 2010Comments Off on 塔のような