Posted on 24th November 2011No Responses
煮込み料理

野菜をどうぞ持っていってといただくことが多いので、じゃがいもにしろ白菜にしろキャベツにしろ人参、タマネギにしろとにかく刻んで煮込むカレーやらシチューやらスープやらにする機会が増えた。蒜を必ず添えて煮込み、気分的に肉や魚は稀に添えるので、主にいわば野菜ポトフという基本に味を加える。ライスでもパンでもよいが、煮込んだもの自体のみで食事が済むことがあり、これを好むようになった。
季節柄、所謂この国の煮込みの王道「鍋」をその本流と位置づけて、取り組めばよいとも思うが、卓上でことことと煮立ったものに箸を伸ばす仕立てが足りないので、コンロが届けばそのような流れになる。

煮込むという仕方は、実に基本であるなと、自らの最近の仕事を振り返り、それに似た形態ともいっていいと、仕事を料理に、否、料理を仕事に転嫁してみると、スパイスやら食材が、充足に向けてみれば、足りないなと感じ入った。
朝陽が差し蝶が舞い枝が踊り雨が降り風が吹くというスパイスを両手に抱えながら、それを使わぬ煮込みなど、人様にお出しできない。無論、そういう戒めは転居のはじまり以前からあった。だが、なにしろそういった仕立ての新参者であるには違いなく、使い方が未熟であり、観念ばかり先走る傾向は否めない。

音からもやや時間的には離れるその理由も並べれば幾つかあったが、音もスパイスのひとつであって、単に煮込めばいいという境地に至るにはまだ時間がかかりそうだが、この辿りの過程を、ひとつの幸せと捉える心地はできた。まだ間に合うだろう。

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