Posted on 22nd January 2011No Responses
体感

身体の自己受容感覚知覚は成熟変異する。特に視覚は視力の低下とは関係なく、見えること自体の体感というものの変容は凄まじく面白い。ただこれも、身体の鍛錬の賜物であることは間違いない。言語と同じ。使わねば萎えて朽ちるばかりだ。味覚触覚も鍛えたいが、当面は視覚と聴覚を率先するのが、こちらの文脈のようだ。特にこの国の言語は視覚と聴覚にまたがって変容するので、なるほど、ビジュアルと音響の隙間に置かれる。

視覚の成熟が、「ものを考えるため」とは全く関係のない「速度」で、把握とその破壊を行っている実感が心地よい。キャッチボールで受け取った球を瞬時にグローブの中で破裂させるような感覚に似ている。バットで打ち返すような反射ではなく、即座にゼロとするような。

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