Posted on 13th October 2009No Responses
手の平の球

 幾冊ものノートには鉛筆で縦書きに書かれた几帳面な文字で、日付もない記述があった。ところどころには植物が挟まれている。

ーサーカスのライオン使いは、鞭を振るう肉体の時間によって生きている。同じような意味で私は、削り出す時間によって生きなければならないと気づいた。完全な球体に向けて、不完全な反復を叱咤する時間。ー(中略)

 山小屋は手作りの粗末なものだったが、修復を幾度も加えられており、雨水を貯める壷の外側はセメントで固められた排水の設備もあり、蛇口からは斜面の脇の沢より稚拙な設備で導かれた水が流れ出た。歩いて数分の場所には菜園があった。十年から二十年に渡って生活をしていたと考えられるが、これまでこの辺りに人が住まっていると聞いた事がない。男の遺体をこの山小屋で発見した中部森林管理局の職員は、当惑を隠さずに警察を呼んでいた。
 奇異なのは、この山小屋の存在というよりも、その小屋の中に残された夥しい数の木製の球であり、おそらく亡くなった男が削り出した彫刻のようなものと考えられたが、遺体が横たわっていたベットの下、というよりも中も、小屋の床もあるいは壁の一部もが、直径3センチから15センチほどの不揃いの、様々な樹木から削りだされたと思われる球体に溢れており、その為の道具もよく磨かれた状態で枕元に並べられていた。

 検死の結果、男は年齢75歳から85歳。鍛えられた肉体は実年齢よりも若かった。氏名、出生地などを示すものは何も見つからず、歯からも治療跡などなかった。死因は、腹部の打撲による膵臓破裂が原因とみられ、おそらく付近で滑落し怪我をしたまま小屋に戻り寝込んで数日で亡くなった。
 当初は地方新聞の記事に小さく掲載されただけだったが、残された小屋の様子の一部が雑誌記者の写真でタブロイド紙に大袈裟に取り上げられ、ニュースは奇異な男の顛末として尾ひれを付け世界を巡った挙げ句、一ヶ月後にはドイツの画廊が小屋をそのまま買い取るという展開になり、不詳の男をいくつものメディアが調査を行った。
 「現代の聖」という番組が放送されると、行方不明だった肉親かもしれないという申告が多く連絡されたが、そのどれもが亡くなった男との繋がりに根拠を欠いていた。

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