Posted on 29th October 2009No Responses
消えない痣

 哀しみも嘆きもいったん深く刻印されて肉体の一部となれば、背中の黒子のように忘れることもある。下世話な笑いに囚われる時もあり、嘆きの失せたような感情に揉まれる時もある。ただ、刻印されつづけてているので、それは消えることはない。腹を空かして何を喰おうか街を徘徊する時、片足を引きずっていることに気がつかないようなものだ。
 所詮、この刻印の背負いは、説明のしようが無いと、最初から諦めてもいる。どんなに自らの存在以外の理由と偶然が折り重なった結果にしろ、降ってきた真下にいたというだけの素朴さで諦めている。
 その諦めは、時間の経過という事象的問題への解析放棄でもある。「もしあの時」という回想が最早何の解決にならないのと同様、積み重なるような時間の層の表象に立つ以上、粒子にならなければ、下層へ溶解浸透などできないからだ。
 だからこの「汚れちまった身体」である嘆きは、老いさらばえる肉体の現実として知覚に付随し、時に些末な条件で様々に作用する。それは月並みな痛みであったり、反射、反応の契機であったり、動機であったり、あるいはまた、それ自体が固有な文脈を形成する。故に、哀しみとか嘆きといった刻印は、歓び、怒りといった刻印と違いはない痣であって、たったひとつの痣で頓着する場合もあれば、無数の痣を変哲無い顔付で隠す輩も多い。この痣は、美しいわけでもなければ、醜いわけでもない。ただ単にそうであるだけだ。

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