Posted on 26th January 2010No Responses
王道

 麦わら帽子と虫取り網まで添え、親の仕草で覆われたガラス箱仕立ての採集昆虫見本やら、数冊にわたって並べられ開かれた切手収集本、普段は不器用な少年からは想像できない木工細工やらは、模造紙にマジックの書き込みと新聞雑誌の切り抜きを貼った太陽系の仕組みの研究を壁に貼るだけが精一杯の立場としては、アホかお前らと嫌悪の対象だった筈が、今や箸にも棒にもかからぬ手法を執拗に重ねて極めて細かく切り刻み延々と並べている。
 どっぷり泥沼にはまり込んでのたうち回らないとわからないことはある。みえないこともある。きこえないものもある。谷の底、井戸の底のような場所で、いよいよ草臥れかけた時、唐突に懐かしさが溢れる。これは確かあの時のものだ。まだ幼い頃から青年期までの、どうやらすべて、「もういい加減にやめろ」と絶えず邪魔をされた事事が浮かび、なぜ彼らは邪魔をするのかと首を傾げた角度に、今同じように頭を傾けている。もうやめろと若い芽を摘み取った人間も老いて、まさかここまでと諦めたか、こちらの変わらぬ膨大な時間の過ごし方を不気味に眺めるばかりとなった。
 都度の取込みの気分を優先して、観念性を廃棄したスケッチのようなここ半年の雑駁な塊に手を出したのは必要があったからだが、振り返れば200時間以上その検証と整理から仕上げに明け暮れていた。気づけば2週間が経過している。とことん取り残された浦島太郎の気分で陽射しを仰ぐと春の柔らかさがある。
 

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