牽引
ペンタのおそらくデジ645が1ヶ月後に発売されるらしい。 問題は価格だが、大型レセプターの中型デジカメとして、現行の中盤のデジパックを凌げば、飛躍的に環境が変わる。要は使う人間の数だから。
最高の技術は、衛星上で外宇宙に向けられているが、645デジタルが日常に向けられると、このプロダクトに、人も他のデバイスも牽引され、世界は変わる。
開発を進める人々は、それなりの達成感があるだろうが、ただ、良いものが現れてから、遅延して世界が変わるのは、世の常とはいえ、なんだか物足りない。
無論、このプロダクトの効果に全体が恩恵を受けて、気づくには、更なる遅延があるにしろ、では、そのクオリティーが、更に高性能の廉価版出力デバイス開発を促したとして、それに慣れていく人間の感覚の果てには、何が待っているというのだろうか。
検証的な探索機器、あるいは絵画の筆のような奔放なツール、そのいずれでもない目的を孕んだとしても、実は、最後迄高性能であるのは、人間の知覚能力であったと気づいて眠りに就く時、何を思うか。溜め息ひとつか。
コンパクトで高性能をうたったハンディーのデバイスには、限界があり、おもちゃのように使えるが、いざという時には、その程度が知れる。そういう黎明期を経て、ある種の空間をボリュームをもって抱きしめる知覚が育つ時、人間の住まう空間は随分、今のものとは変わるのではないか。などと。
折角の素晴らしい製品出現に際して老婆心がぽつぽつ生まれる理由のひとつに、最近は、写真の捉える「空間」に興味が移行しはじめたせいもある。