唐突な閃きと映画という複雑
連続する「鉛の花」といういけ好かない形であったが、ふいに辿り着いた。これでいいという安堵から身を遠ざけて、暫く眺めていた。この安上がりの唐突な「安堵」には憶えがあった。青年の頃、夜中歩き回って重く平たい青御影石を引きずって狭い部屋に持ち込み、林から切り出した手首の太さの削り出した樹々の枝を加えて滑稽な「夢中」を組み立てたものと似ていた。背後から何かその「安堵」は恥が染込まれているなと、実は自身の声と知っている呟きがあった。
年齢と世代という生に支えられた自然があって、それは唐突な「安堵」とは違った文脈を既に生きている。地味に鍛えた所謂熟練の生業からふと逸れて、それまでとまるきり違った、「クレヨンの絵」を上手に描いたとして、その絵を眺める「安堵」は、小さく何か空しいことと似ている。
然し、空しさまで、夢の話だった。夢は断裂して続いた。
深い山の中、記憶では3人の筈だったが、4人が崩れ断層が現れた崖の前で、指先を触れ、もの静かに並んで立っている。横顔が見え、なるほど俺たちのあの頃と実に良く似ている。あんなにも若かったなどと思った。捏造が加えられるのは仕方がない映画だから。友人のひとりが監督の演出に対してそう囁いた。この国では著名な他の作品も幾つか観て知っているが初対面の監督に、この映画は何を示すのか詰め寄っていた。そして、思いがけないテーマと事実、「友人の親族の社会的な病」へ向けられていることを知り、酷く落胆する。そんなことが大切なのか。その為に俺たちはあの崖の前に立っていたわけではないと、記憶の三人へ申し出ると、ああ、あの時の事は誰にもわからない。とそれぞれが諦めて老いた表情で答えた。
映画ではないが映像と、言語に近寄る記憶化へ傾いた静止画像を交互に延々と扱う時間の中、思念が捩れて生まれた夢だと思った。個別と連なりという「点と線」がモールス信号のように脳内に鎖のように打ち込まれ、その鎖の錆のようなものがドーパミンを刺激し続け、本来の細胞能力の限界を示したかと思ったが、新しく手元に広がる錆の無い連なりを見下ろせば、限界は消えたような促しに誘われる。