Posted on 11th May 2010No Responses
晩春

 山へ向かって走り車の窓を開けて五月も半ばに届くというのに、ひと月は季節の変化が遅れている山の色を眺め、ばんしゅんと言葉に出して、小津 (1903~1963)の「晩春 (1949) 」は、そうか、戦後まだ4年ということで、雪が消え流れて裸の樹々の溶けたように絡まり合う景色の、雨を待つ枯れきった、今見えているような時代だったのかもしれない。脈絡の無い戯言をつづけていた。父親役の笠智衆 (1904~1993)は、まだ当時45歳で、娘役の原節子 (1920~)と、16歳しか違わない、父親のラストシーンの確かに若すぎた印象を加えて思い浮かべた。荒廃感の消えない時代に、あの不相応な父と娘が床を並べ性的な印象を添えた小津は、自らの時代に対するささやかな恣意の楔のつもりだったのかもしれない。
 実直素直な俳優がラストシーンに唯一不満を通し、それをまあいいと呑んだひとつ違いの小津の目つきも、まだ若いものに違いなかっただろうと、半世紀前の現代より人間の成熟が早い(外事情からも強要された)ふたりの男の盛んな気概を、29歳の当時としては作品の主題以上に追いつめられていたのではと勘ぐりたくなる原節子のメリハリのある気丈さと、男たちを窘めるような目つきが、この季節には確かに密やかに馴染む。と、フロントミラーに半分映り込んだ自分の顔から目を背けた。
 雨が降り始めれば、一斉に樹々が黒くなって隙間を埋め、旺盛な光を求めて匂い立つ祭りじみた賑わいが辺りに広がるだろうが、今年のこの長い春は、廃墟を長い時間巡り歩いているような錯覚があり、時を逆行する感覚もあり、時間の経過が停止したような日々に親しみすぎたか。
 秋よりも、今かもしれないと、ぼんやりあれこれを頭に転がしたままだったから、手元の意識が薄れ、戻ってみると撮影した画像は、すべて露出オーバーで、どうやら親指でカメラの背面の露出ダイヤルをぐりぐりと知らぬうちに回していたようだ。
 日中は都心よりも上昇するが、夕刻から極端に下がる気温が、時間を遡行する安心感となって、ああ、まだ荒廃の中に燻り続けられると、冷たい長い夜の中ほくそ笑む。
 

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