水の机
water deskというのは、インターフェイスビジョンとしての命名だったが、今考えてみると、小学校入学時に、学校と家庭で同時にあてがわれた「私の机」という獲得の印象がまずある。培養液のような世界の中を漂いながら、はじめてとりついた島だったともいえる。憶い返せば酷い使い方をしていた。給食のパンをなぜ机の中に隠したか。担任に机をひっくり返された時、黴びた固いパンが転がり出た。おそらく制限時間内での給食完食に対する幼い知恵は、机の中に残り物を滑り隠すことしかなかったのだろう。落書きや彫刻刀による彫り込みもあった。不満だったのは、「私の机」でありながら、その所有を中途半端なものとされ、やつの管理下での使用だけを許されていたということであり、ならば日々席を自由に選んでよいはずだったと、今でも思う。
机に座る他の時間がイーゼルの前となり、これも長い時間そうしていた。イーゼルをとうとう諦めた時、残ったのは机でしかなかった。今度ばかりは徹底的に「私の机」でなければならなかった。だが、これも家庭という共有空間では不要なものと蔑まれ、この「私の机」の固持が、結果的に離散、別居へと促したのだと考えられる。
青年の頃迄は、どういった形であれ、大人には「私の机」が必ずあるものだと錯覚していた。そんなものには興味の無い大人が大勢いるのだとわかった時、培養液の中を漂うこと自体でそれを謳歌している人の姿は動物園の驢馬だと感じていた。
水のような揺らぐ反射面を持つ、水の机には、光景ばかりではなく、文字や言葉や、勿論物理的な変化が顕現し、時には手を洗う。
そろそろ申し分の無い「水の机」を抱きしめても良い頃だと、設計をはじめるのだった。