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Black Grief

 2009年の初夏から取り組み始めた構想である「Black Grief」は、百数十ページに渡るメモと数十枚のスケッチを積み重ねて深い秋を迎えてようやくある種の明快さに辿り着いた。  簡単にいってしまえば、喜怒哀楽のごった煮から、「哀」を抽出したパッケージを考えるというもので、これは、例えば同時期、小説家の平野が構想したディヴィジュアル(分人)というものに併置できるかもしれないが、性格は全く異なる。ディヴィジュアルがアバターのような対応分離の身体ツールとすれば、このパッケージは、身体から絞り出すエキスのひとつであり、互いに干渉することを停止した澱みであり、他と対応できない孤立の氷のようなもので、固有の色彩を持つ。  もともと現実を曖昧に出鱈目に消耗するまま、成り行きに任せるような生を送ってきた反省というのも可笑しいが、個人的な経緯の総体を振り返って、喜怒哀楽にまみれた人生でしたと一言で済ますわけにはいかないと、そもそも考えた。  いかなるものにも喩えようのない哀しみ、嘆きということは、どちらかと云えば「苦」に属するかもしれないが、自身の実直且つ時空の弁えで、まずはこれだろうと4種類からひとつを選んでいた。普段から何物かに対する憤怒に纏われたむつかしい表情をしている人間も、嬉々とした躁状態が日中降りそそぐ口元の緩んだ人間も、彼らの人生全てがそのようであるはずがない。ゆっくりとした感情の変容と流れのまま、どの淵に佇む傾向が強いか弱いかの些末な傾向なのだが、表情の表象としてアイコン化されると、傾向イコール人格とされる。彼らに共通する「哀」など無いと考えたほうがよろしい。共有の哀しみは持たないが、固有の特異な「哀」は、語られないまま抱かれてある。そのまま墓まで抱きしめていくのだろうか。大きく声をあげて笑い合った後、ふいに空しさに包まれる時もある。いたって温和な人間が、実はという話もある。では、様々なのだからさまざまであるとすれば、傾向の羅列の中に溺れるだけとなる。浮き上がって、何か精製された大気を吸ってみたいという願望があったのかもしれない。「哀」を全身に染めてみるということではなく、摘出して机の上に置く。  残された時間を「哀」だけに注ぐつもりは毛頭無いが、戦争や抑圧など特異な状況などなかったとされる時代を過ごした人間に湧いたささやかな感情の形態として示すことは、観念で相対的に意味付けることを切断する力を持つとした。自身の「哀」を考える内に、こんなことだったかと新しく気づく事もあって、曖昧だった感覚が確かなものに変わる。  繰り返し選ばれ残された表象が、ひたすら黒々とするしかなかったことから「黒い嘆き」とした。ここには、だから、歓びも怒りも愉悦も笑いも無い。ただひたすら「嘆き」として選ばれたものが、その言葉のままに置かれる。 Share

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Posted on 15th October 2009Comments Off on Black Grief
手の平の球

 幾冊ものノートには鉛筆で縦書きに書かれた几帳面な文字で、日付もない記述があった。ところどころには植物が挟まれている。 ーサーカスのライオン使いは、鞭を振るう肉体の時間によって生きている。同じような意味で私は、削り出す時間によって生きなければならないと気づいた。完全な球体に向けて、不完全な反復を叱咤する時間。ー(中略)  山小屋は手作りの粗末なものだったが、修復を幾度も加えられており、雨水を貯める壷の外側はセメントで固められた排水の設備もあり、蛇口からは斜面の脇の沢より稚拙な設備で導かれた水が流れ出た。歩いて数分の場所には菜園があった。十年から二十年に渡って生活をしていたと考えられるが、これまでこの辺りに人が住まっていると聞いた事がない。男の遺体をこの山小屋で発見した中部森林管理局の職員は、当惑を隠さずに警察を呼んでいた。  奇異なのは、この山小屋の存在というよりも、その小屋の中に残された夥しい数の木製の球であり、おそらく亡くなった男が削り出した彫刻のようなものと考えられたが、遺体が横たわっていたベットの下、というよりも中も、小屋の床もあるいは壁の一部もが、直径3センチから15センチほどの不揃いの、様々な樹木から削りだされたと思われる球体に溢れており、その為の道具もよく磨かれた状態で枕元に並べられていた。  検死の結果、男は年齢75歳から85歳。鍛えられた肉体は実年齢よりも若かった。氏名、出生地などを示すものは何も見つからず、歯からも治療跡などなかった。死因は、腹部の打撲による膵臓破裂が原因とみられ、おそらく付近で滑落し怪我をしたまま小屋に戻り寝込んで数日で亡くなった。  当初は地方新聞の記事に小さく掲載されただけだったが、残された小屋の様子の一部が雑誌記者の写真でタブロイド紙に大袈裟に取り上げられ、ニュースは奇異な男の顛末として尾ひれを付け世界を巡った挙げ句、一ヶ月後にはドイツの画廊が小屋をそのまま買い取るという展開になり、不詳の男をいくつものメディアが調査を行った。  「現代の聖」という番組が放送されると、行方不明だった肉親かもしれないという申告が多く連絡されたが、そのどれもが亡くなった男との繋がりに根拠を欠いていた。 Share

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Posted on 13th October 2009Comments Off on 手の平の球
最終形態への憧憬

「路上で赤ん坊を乗せたベビーカーを押した女性に微笑みを返された時、立ち尽くしたようになって、俺はママゴトみたいな小便臭いことをやっていたんだと思った」  風彦は、膝元の小さな布団に眠る赤ん坊の髪をそっと撫でながら、瞼を下ろし半眼で暫く女のような表情で子をみつめた。   Share

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Posted on 7th October 2009Comments Off on 最終形態への憧憬
善良

「善良で小心。優しい平凡な親父でした。そういうとそれで全て説明は済んでしまいそうだが。  5人兄妹の末っ子で、姉が二人居て、多分幼い頃から年上に叱られることに慣れていて、むしろそうした抑圧が自分を守り包み込むものなのだと身体に染み込ませてしまったのかもしれない。だからひとつ年上の、長女で癇癪持ちの連れ合いである母親の何気なくきつい、私であったら精神を病んでしまいそうな、日々の小言も身をかわす術を心得ていると、息子の感想として冗談のように話したこともあり、母親もそれを聞いて、そうだわねと笑いながら頷いていました。  子どもだから、彼のすべてをわかっている。知っているわけじゃないと思っています。むしろわからないことのほうが多い。どうみたって贖罪の行為にしか見えない、この大量な写経などにしても、腰を痛めるほど日々の行と戒めて切迫される気持は知れない。時代の流れに照応してはいるけれど、相対的な体裁として(うちのこにかぎって)という教育方針を隠さない母親の鬼気迫る子どもたちの成長期における密着の時期、彼は父親として何を考え実践していたかはわかりません。聞いたこともない。  ただ趣味という枠を越えた書に対する熱中は、退職後のことだと思います。実際、厳格な国粋主義者の祖父と、その優秀な年の離れた、時には父親がわりになった長兄に、幼い頃に叩き込まれた、筆の仕草を、中年を終えてから、学習をはじめる青年のようにひたむきに取り組んでいたことは、家族皆が知っています。それを理解していたとは言えないが。  話が前後しますがよろしいですか。私個人の考えとして、人間が数十年も生きれば、罪のひとつやふたつ抱えるものだと思っています。その苦悩に対して、それを無かったことのように隠し続けるか、その罪に向き合うかの違いで、人間に善良という部分が成熟するのではないか。だから、父親の写経という行は、間違っているかもしれないが、そういったなにかしらの贖罪であるのだろうと思います。写経によって心が澄み渡り平静がうち広がるとは思えない。この大量の写経には、文字ひとつひとつの生成時に生まれた後悔と懺悔と許しを乞う姿そのものと考える方が、私にとっては理解できるのです。謝罪というものと贖罪というものは違うし、祈りの対象が無い者に信仰心というものは無縁であるように、ただ罪を目の前に現すことで、自他という現象に硬直した身体と精神が解かれる効果はあったんじゃないか。  事実、私にも抱える罪の幾つかがあり、思い込めば眠れなくなります。これは人間なら誰もがそうなのではないでしょうか。説明はなかったけれど、自他という相対に溶かす倫理の行為として、なにかを決心しそれが生活となることで、善良さを取り戻し、時には歯を食いしばって、やりすごす生きる術を、なんとか作りながら、笑顔を子や孫に向けていられたのではないでしょうか。  いつ頃か、私も、自分の表情がなんとも厳めしい顰め面であることを鏡の中でうっかりみつけたことがあり、こんな顔を向けられた人間はたまらないなと思いました」 Share

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Posted on 18th July 2009Comments Off on 善良
ペルソナ

ペルソナとしての文脈が、アバターとなって、それが虚像の衣装であるにしても、相互の視界には、ディファレンスオルタナティブとしてくっきりと存在する。こうしたデータコンテンツの、有機的な、撹拌の場所として、出会いの円卓ともいえる現実空間が必要ではある。 そこでは、情報の搾取、隠蔽といった、リミテッドデータに関する、好奇心は消え、削除されている。 変容の過程にある多種多様なロングテール・ペルソナが、孤立から逃れるような身体性を欲望し、触れ合い、あるいは犯しあい、浸透し、貫き、部分同調するための、新たな触手を見出すべき場所となる。 リミテッドオブジェクトは、プレテクストとしての基本的な現れ(モノ)に回帰し、夥しい変異するペルソナの囁きによって、これまでにない時間的な可能性を示すことになる。 場所におけるペルソナデータログのインターフェースは、映像、テキスト、音声、イメージなど、あらゆる接続に対応しつつ、リミテッドオブジェクトの現実性を検証する ような磁性を持って、リミテッドオブジェクトの周縁に粒子のように漂うことになる。 Share

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Posted on 21st December 2008Comments Off on ペルソナ
言葉

言葉は書かれるものであり、読まれるものだから、本来的にパブリックなツールであるので、言葉自体を辿る側において意味を成し完結する。誰から誰に向かって渡された言葉であるのかという、固有な線を結ぶ性質を帯びる場合もあるが、その線は、徹底的に秘匿されないかぎり、いかような誤読を含んでもさまざまな地点で認識された途端、認識者のものとなる。 メモ、エッセイ、物語、手紙、日記等々、文体的には様々な形式があるにせよ、大きな錯覚は、言葉は書いたものの所有物であり、言葉を紡いだ人間の一部を成した所謂内面を形成しているという誤解である。「私は」とはじまる言葉の、「私」は、言葉となってしまった途端、「私という普遍」を示し、読む側の呟きの中で、読む人間の「私」と重なり、時に憑依して化ける。 言葉が特定の、あるいは無特定の他者に向かっている、あるいは向かっていない、そのいずれであっても、言葉は自立しており、言葉の孤立した景色を纏う。 このツールの問題の大きな点は、発声という肉体的な吐き出しを、言葉自体が持っている矛盾にある。言葉を吐き出す発音、発声という表出を、同じ肉体的な表出性で受け止めることはできないから、さきほどの誤解が生まれる。但し、兎角言葉を辿るには、実は黙読という逆転した発音が含まれており、朗読という言葉を辿る発声を聞くという、自己と他者の入り混じった状況が、日常的に、我々の知覚機能自体に在り、故に、「私」を巡る錯綜によって、肉体を喪失することもある。 いかなる雛形であろうと、発声による言葉を投げて受け止める「会話」は、こうした錯乱の上で、見事に適当に行われる。 欧米の意思表明の典型である「スピーチ」は、もともと書き言葉であり、「会話」というレヴェルの言葉ではなく、「朗読」を洗練させたものであるが、我々は「会話」でスピーチをしたり、「スピーチ」が日記記述になったりする。これは、言葉自体の持つ力を制御しようとすると、社会性自体が崩落する怖れがあるから、許容するしかない。 「俺はダメな人間だ」という言葉は、呟かれた主体を示すようで、実は共同体で共有するイメージを現前させているのであって、この言葉を発音した人間は、記憶の中の雛形から選択したにすぎなく、その選択は、「私はダメ」という事実を示すことよりも、この言葉の持つ反射に寄り添う場合がほとんどであるから、脆弱な言葉と云える。 「私は〜です」という説明も、そのほとんどは、類型への歩み寄りによる、自己投射であり、説明に終始する人間の、延々と続く言葉よりも、実は仕草や声の質、指先の動きのほうが、豊穣に人間を説明するものだ。 読む人間は、だから発音しているのであり、発音できない人間は読むことが足りないのであり、貧弱な選択肢しか得ることができない。よい言葉というものは、この発音が黙読であっても心地よいことが肝心となる。 人間の声と言葉という一見等価なものは、非常に矛盾した滑稽でもある知覚ツールといえる。そして、加えておそろしいのは、視ると視られるという視覚の知覚認識も、同様な矛盾を抱えているということだ。股の間から出て来たばかりの赤ん坊の視覚というものが我々の見えることではない。視る事の経験で視るという視覚が形成されるのであり、故に視た事のない出来事や光景に対しては、網膜に映っていても見えないということになる。説明ができないものは見えないという逆転に陥る。この錯綜を支えるのが言葉である。 Share

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Posted on 8th December 2008Comments Off on 言葉
冬の犬

新潮クレスト・ブックス短篇小説ベスト・コレクション、記憶に残っていること / 堀江敏幸選 がミネラルウォーターを飲むような心地よさがあったので、幾冊か選んでクレスト・ブックスを注文した。まだページを捲っていない、Winter Dog / Alistair MacLeod(1936~)の、「冬の犬」というタイトルが、街歩きの途中や、湯槽の中、食事の片付けの最中にふと浮かぶので、他のタイトルを忘れてしまうほどだった。 母方の末の弟である叔父夫婦の溺愛する犬が今年の春に病死したが、夏前に小犬を譲り受けて再び同じ名前で呼びながら飼い始めて、彼等は哀しみを乗り越えた。亡くなった犬のエルは、母親のすぐ下の長男である叔父夫婦の飼うメリーと兄妹で、メリーは年齢的に弱ってきているがまだ元気な姿を夏の終わりに見てきたばかりで、カメラにおさめたメリーを再度みつめる時間もこちらにはあった。犬好きの娘達を連れてエルとメリーに会いに行くことが、叔父達の家を尋ねる楽しみのひとつともなっている。 母親は犬嫌いを自称しているが、どうやら数十年前に自宅で飼っていたシロと呼んでいた犬が突然病死したことがトラウマとなって、噛み付くかもしれない動物に翻弄されるイメージを都度様々なシチュエーションで捏造し、私が高校生の頃、同級生から譲り受けた子犬を親元へ断って返してきなさいと眉を吊り上げたこともあり、この記憶はいまだ色あせない。 私自身の干支が犬であり、それをモチーフとした銅版画を刷ったこともある。 「冬の犬」というタイトルが、こうした私の沈んで折り畳まれた時間を刺激して、言葉として表象へ浮かび上がらせる牽引力を持ったと考えると簡単だが、日々目にする「犬」ではなく、「冬の犬」という言葉が特別であるのは、私の側に言葉に照応する何かがあったからか、あるいは言葉自体に注視を促す力があったからか、そのいずれかであるというより、言葉自体が全的に放つ現代性へと昇華する響きを、奇跡的に偶然に孕んだのだと思うことにした。 自分にとってひどく大切な事柄であるのに、何かの弊害で身から離れた場所に据え置かれ、時間ばかりが過ぎ去り、気づいてみれば言葉も生まれないような距離が広がり、あの時こうしていればと小さい後悔の念が生まれることがある。犬についても同じようなニュアンスがあった。犬は嫌いではないし、むしろ毎朝一緒に散歩できたら、どんなに楽しいだろう、癒されるだろうと考える。だが、まだこちらには生きる時間が、少なくなったが残されている。諦めることはない。犬の不在が、私にとっては、魂の一部分の欠落と結びつているかもしれないので。 Share

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Posted on 13th November 2008Comments Off on 冬の犬