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辞世の

ー 辞世(じせい)とは、人が死に際して詠む漢詩、偈、和歌、発句またはそれに類する短型詩の類のことで、東アジア固有の風俗である。 風俗としての起源ははっきりしないが、特に中世以降の日本において大いに流行し、文人の末期や切腹の際には欠かせない習いの一つとなった。この場合、最もよく用いられた詩形は和歌である。これは禅僧が死に際して偈を絶筆として残す風俗に、詩形としての和歌の格の高さ、王朝時代以来の歌徳説話のなかにまま辞世に関するものが見えたこと、などが影響していると思われる。 ーwikiより転載  というような意味合いの、goodgye noteの編集をはじめることにする。 「辞世」などと、死に際に瀕しているわけでもないくせに、大げさな感もあるが、態度を向ける方向だけが必要となった。  同時に、警察官とか会社員とかの、即効性のある社会性を都度孕み持つ仕事と縁がない生を長々と送った者として、今更、世のため人のためにわかりやすい処方に投じるスキルもない。単なる気配や予感で手探りする体質は変わりようがないのだろう。とまあ、この編集も残ってみれば、時代の風に大いにあおられた、依存の恣意となるだけかもしれないが、日々理解と慣れが染み渡るようなシステムのサイクルのようなものが、ようやくさまざまな生の起伏をトータルに巡っても、精神が身体を割るようなことがないぞと、腑に落ちたからだが、別に喜ばしいということでもない。何か平常のごく当たり前の決めごととして、成る可くして辿っている。 Share

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Posted on 18th August 2010Comments Off on 辞世の
言葉から声 

ー 吉増:ちょっと脇道に入るかも知れませんが、ごめんなさい。武満徹さんが座談だったかな、話していたことを思い出したんですが、「詩」っていう言葉は言偏に寺と書くでしょう。変な字ですよねえ、無意識にもなにか気になってますよね。むしろ言偏に司の方がまだなんか定まるというか楽で・ ・ ・ ・ ・ 中沢:なんでなんでしょうかね、声明みたいなものが関係あるんでしょかね。 吉増:そうかもしれませんね。古代中国の屈原に「九歌」という素晴らしい作品がありますよね。ぼくはちょっと夢中になって、でこのあいだもサンフランシスコのシティライツに行って、アーサー・ウェイレイ訳の「The nine songs」を買って来て、眺めているんですが、「九歌」を読んでたり聴いたりしてて、藤堂明保氏も「これは生々しい土地の響きが残されている、そしてこの残響は・ ・ ・ 」と魅力的ないい方をされていますが、これもともと楚の人の歌で字は後からくっついたんでしょうね。それを聴いていると女の人の声がそれこそ聴こえてくるんですよね。ひとりごとか天使の声みたいに「屈原じゃないよ、これ」なんていったりしましてね。なるほど「詩」が言偏に寺と表記されるのは、後年の儒教やモラルがくっついてからの文字だなあって感じがしてました。その前の詩以前に無尽蔵に死んだ詩があったでしょうし、そういう声を漢語文化の向こうに聴き始めるというか、そういう時に来てる。ということは「詩」も「詩人」も敵というか獅子心中の虫になって来て、中沢さんのいままでいわれたことや空海論を読んでも感じるし、近藤さんの記述の問題にも感じますねえ。聴くということに非常に深く眼を沈め始めてきている。 ー間の思考、音 / 吉増剛造、近藤譲、中沢新一対談より抜粋 / 7,Jan,1986 / 現代詩手帳 Share

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Posted on 23rd July 2010Comments Off on 言葉から声 
端正というつまらなさ

「太子を見奉るに形–なる事限りなし/今昔 」「端整」 姿・形や動作などが正しくてきちんとしていること。また、そのさま。「―な字」 (端整)顔だちなどが美しく整っていること。また、そのさま。「―な目鼻立ち」 どうも現在は、「端正」という響きは、少々上品な物言いに偏っているようだから、やや道徳的、倫理的な含みがある。平常のあるがままの率直さを示すには無理がある。 正しいという自覚が所作の器にすっぽりと収まるこのきちんとした姿勢は、時に憧れるけれども、然しややもすると、ひどくつまらない。時差によるスノッブな先鋭への遅れに対する皮肉を打ち消す意思が込めらる気配が濃厚で、逆にその恣意が後ろめたく滲み易い。 美と簡単に繋げるこの姿勢は、故に、美しさというものの脆弱を同じように示す。 破綻と当惑と足掻きが面白ければよいかというと、それも違う。 つまり「事実」が、これを絶えず更新して、新しいというわけか。 Share

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Posted on 16th July 2010Comments Off on 端正というつまらなさ
曖昧な話し言葉の錯乱から

逃れるため、というより言語的な認識の水平面を取り戻す意味で、享受と検証の触手を折りたたんで、書棚の懐かしいような何度も捲った本を広げると、数ページを辿るだけで静かな落ちつきが降りてくる。  外出の行き帰りに聴いていた音楽から、なるほど、静謐そうな場所を訪れたとしても実際は濃密でにぎやかな振動に包まれているはずだ、静寂はこのようにつくりだすものだといまさらに感心していた。  放り投げて破り去ったり、誰かにくれてやったり、ゴミ箱へ消えたりせずに、ほぼ30年に渡って書棚に残った本は、確かに残された理由が、その頁に明晰に残されている。これが言葉の優れたところだと、聞こえる筈のない書き言葉を囁く作家の声に、慣れ親しんでいる錯覚がむしろ心地よい。  腕前、技量、つまり道具の使い手の手並みが表象されている「本」の言葉は、読む度にこの国の言語を、言語足らしめているわけであり、それが方々へ触手を広げて目をこらし耳をすませる者にとっては、認識精神を支える港のような役割を担って、時にひどくありがたい。  ロジックのつもりの会話の中の「だってそうでしょ」「ちげえよ」「まぁ」などといった話し言葉の断片の渦の中、書面化された文字言語を眺める若者の目付きが気になり、なにかあれば自筆で手紙を書いてくれというと、「じょうだんでしょ」目を丸くして笑うのだった。彼は数時間前、丁寧語はテンプレートだと言い切ってから暫く黙りこんだのだった。  一見豊かな環境で育まれている優秀な青年たちに総じて言える脆弱さは、母国言語能力のような気がする。プラグマティックな動機と結果は真っすぐ繋がっているのだが、抽象の撓みがまるでない。 Share

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Posted on 8th July 2010Comments Off on 曖昧な話し言葉の錯乱から
複合人格交錯の不気味

 「あのひと」と恋いこがれ、性的にも精神的にも、「あの」固有なオリジナルの存在と、一対一で関係を持ちたいと願う時代は、その「関係」だけを考えれば済んだ。固有な存在さしめたのは世界の不透明な深さ広さであり、ドーナツ盤から流れる音をどのような指で奏でているのかを妄想するしかない距離(彼岸)がまずあり、その隙間が、「関係」を緊密で濃厚豊かなものとしたわけだ。この関係は取り替えがきかないので、そこに他言できないような「秘密」(密約)も生まれ、それは関係固有性の特徴を強化する機能のひとつとなる。  時間さえあれば簡単に情報を取得できる、一見見通しのいいネットワークの時代となり、感受享受の行方は各々不確かであったとしても、一対一という絞られたような関係性は、手紙からメール、チャット、SNSといった、複数の視線の介入に慣れることになった。連なる言葉の口調も、誰に向かって綴られているのかさえわからない。過去の固有だった存在は、凡庸な類的情報処理に犯された、類似存在に成り下がる。「あのひと」は、どのひとでも変わらない感想を抱き、似たような欲望と関心を持ち、同じように暮らしていると類推が届くようになると、固有な存在と関係を結びたいと願う気持は消え、同類哀れみつつ、似たような幸せを送りたいと考える。  「あなた」と「わたし」は、ひとつの特別な結ばれ方をしなくなる。あなた的な対象とわたし的な自己という錯覚は、よくみれば、どこも同じで似ていすぎている。つまり、類としての理念が結ばれるので、草臥れれば取り替えがきく。  でもしかし、自身の血を舐めて「ひとつの存在」なんだなと自立しようとすると、その足掻きが不細工なのか、格好が悪いのかわからないが、辺り一様に生物反射痙攣のごとく失笑が起こり、総体的「悪意」が生まれる。  とにかく貧相なボキャブラリーと単純なバイアスに傾いたTVを垂れ流して日常を送ることをやめ、見えていないことを見よう、聴こえない音を聴こうという気概を持つ意気地があれば、この気持悪い複合人格の罠から逃れることができる。(かもしれない)ただし逃走の土地においては、類的複合人格とは倫理の基盤が異なるので、ここで宗教戦争に似た争いが生じる可能性もある。 Share

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Posted on 23rd June 2010Comments Off on 複合人格交錯の不気味
高み

 海抜ゼロメートルとは、こんなにも高い場所にせり出していたか。下の方まで大気も澄み切って見渡せる岸壁から、海底だった下方に向けて見下ろしながら、登山家の気持ちになっていた。  海洋の水がなくなり、ギアナ高地のような場所に立って、海溝の下に構築されている街の灯りなども見え、海の水を無くすとは考えたものだ。やはりここは高いなと、繰り返し思っていた。  夢の中の感想を抱いたまま、埠頭を歩き、東京湾のここはそれほどでもないだろうと、夢との符号を海の色の変化に置き換えていた。  海底だった下方から此処まではどういった交通の手段が考えられていただろうかと、夢の続きが、すっかり気持ちのなかでは連続ドラマの態をなしているのが可笑しい。  高所恐怖と閉所恐怖を頭で考えて、だがあれも「場所の妄想」であって、恐怖の中で過ごさねば、生きねばならぬ立場であれば、恐怖よりも生存が選択され平坦な息災こそが、高地や洞窟の「場所の妄想」となる。立場が相克する場所の謂れを、ひとつに抱え込むのは土台馬鹿げているけれども、場所、あるいは土地に関して、生存が染込んだ時空を与えようとしてきたわけだと、これまでの歴史や固有名の有様が、振り返る毎に変容するに任せた。  臨海に建設される蟻の塔のような集合住宅に数千単位で住まう所帯の、若い母親たちが乳児を連れて、埠頭あたりの公園に立ち海の向こうを子供と一緒に眺めている夕暮れに、その子らは、農耕の場所も狩猟の森もない「高み」で育ち、どういった生存の柵を得るのか不思議な気持ちになっていった。 Share

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Posted on 30th May 2010Comments Off on 高み
水の机

 water deskというのは、インターフェイスビジョンとしての命名だったが、今考えてみると、小学校入学時に、学校と家庭で同時にあてがわれた「私の机」という獲得の印象がまずある。培養液のような世界の中を漂いながら、はじめてとりついた島だったともいえる。憶い返せば酷い使い方をしていた。給食のパンをなぜ机の中に隠したか。担任に机をひっくり返された時、黴びた固いパンが転がり出た。おそらく制限時間内での給食完食に対する幼い知恵は、机の中に残り物を滑り隠すことしかなかったのだろう。落書きや彫刻刀による彫り込みもあった。不満だったのは、「私の机」でありながら、その所有を中途半端なものとされ、やつの管理下での使用だけを許されていたということであり、ならば日々席を自由に選んでよいはずだったと、今でも思う。  机に座る他の時間がイーゼルの前となり、これも長い時間そうしていた。イーゼルをとうとう諦めた時、残ったのは机でしかなかった。今度ばかりは徹底的に「私の机」でなければならなかった。だが、これも家庭という共有空間では不要なものと蔑まれ、この「私の机」の固持が、結果的に離散、別居へと促したのだと考えられる。  青年の頃迄は、どういった形であれ、大人には「私の机」が必ずあるものだと錯覚していた。そんなものには興味の無い大人が大勢いるのだとわかった時、培養液の中を漂うこと自体でそれを謳歌している人の姿は動物園の驢馬だと感じていた。  水のような揺らぐ反射面を持つ、水の机には、光景ばかりではなく、文字や言葉や、勿論物理的な変化が顕現し、時には手を洗う。  そろそろ申し分の無い「水の机」を抱きしめても良い頃だと、設計をはじめるのだった。   Share

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Posted on 22nd May 2010Comments Off on 水の机