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晩春

 山へ向かって走り車の窓を開けて五月も半ばに届くというのに、ひと月は季節の変化が遅れている山の色を眺め、ばんしゅんと言葉に出して、小津 (1903~1963)の「晩春 (1949) 」は、そうか、戦後まだ4年ということで、雪が消え流れて裸の樹々の溶けたように絡まり合う景色の、雨を待つ枯れきった、今見えているような時代だったのかもしれない。脈絡の無い戯言をつづけていた。父親役の笠智衆 (1904~1993)は、まだ当時45歳で、娘役の原節子 (1920~)と、16歳しか違わない、父親のラストシーンの確かに若すぎた印象を加えて思い浮かべた。荒廃感の消えない時代に、あの不相応な父と娘が床を並べ性的な印象を添えた小津は、自らの時代に対するささやかな恣意の楔のつもりだったのかもしれない。  実直素直な俳優がラストシーンに唯一不満を通し、それをまあいいと呑んだひとつ違いの小津の目つきも、まだ若いものに違いなかっただろうと、半世紀前の現代より人間の成熟が早い(外事情からも強要された)ふたりの男の盛んな気概を、29歳の当時としては作品の主題以上に追いつめられていたのではと勘ぐりたくなる原節子のメリハリのある気丈さと、男たちを窘めるような目つきが、この季節には確かに密やかに馴染む。と、フロントミラーに半分映り込んだ自分の顔から目を背けた。  雨が降り始めれば、一斉に樹々が黒くなって隙間を埋め、旺盛な光を求めて匂い立つ祭りじみた賑わいが辺りに広がるだろうが、今年のこの長い春は、廃墟を長い時間巡り歩いているような錯覚があり、時を逆行する感覚もあり、時間の経過が停止したような日々に親しみすぎたか。  秋よりも、今かもしれないと、ぼんやりあれこれを頭に転がしたままだったから、手元の意識が薄れ、戻ってみると撮影した画像は、すべて露出オーバーで、どうやら親指でカメラの背面の露出ダイヤルをぐりぐりと知らぬうちに回していたようだ。  日中は都心よりも上昇するが、夕刻から極端に下がる気温が、時間を遡行する安心感となって、ああ、まだ荒廃の中に燻り続けられると、冷たい長い夜の中ほくそ笑む。   Share

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Posted on 11th May 2010Comments Off on 晩春
塔のような

モニュンメントは制作の中途で、朝早く外に出た時に、広場の真ん中に立てられたそのモニュメントを、遠く離れた場所から、制作者独りが見上げている。よく知っている男だった。  低緯度であることを示す鬱蒼としたジャングルが、簡素な家々の背後を取り囲み、しかし、広場のような丸い空間は、他にも点在しており、制作者から、渡された図面には、10ほどの丸い空き地とそれを取り囲む家の図が描かれていて、彼は、此処と其処とお前のところが未完だ。と言うのだった。  こちらは、石を数人で原始的に加工した浅い記憶があった。斜めに支え合う「チビタのおでん」の先っぽのようなものをまだ地面に横たえたままだったので、図面を渡した男の、爬虫類の尻尾のような彫刻の向きを、どの方角にすべきか悩んで眠れなかったという話を聞きながら、こちらはまだ何もできあがっていない焦りばかりが膨れるのだった。  この村の住民は、樹々を組み上げよじ上って腰に蔦を巻き死を覚悟し飛び降りる成人の儀式を行う部族の末裔であり、今では流石に膝上で切ったジーンズをはき、コーラをラッパ飲みしロックに合わせて踊る程度で大人になる。儀式自体行われなくなったけれども、長老らしい白い髭の老人から、数人がよじのぼっても倒れぬように言いつかっていることを憶いだしていた。  「赤ん坊が生まれなくなったから仕方ない」  老人の呟きを聞いてから、こちらの名前を呼ばれて振り返り、さきほどの爬虫類の尻尾の塔を制作している男が、ほらと指差すので、そちらを眺めると、家々の屋根のむこうに、壊れたセスナ機の尾翼が立ち上がり、あれはないよなと、彼は笑った。  それから近寄って、互いの家族に関しての喪失を表情に漲らせてから黙り込むと、白髭の老人が、こちらふたりに向かって歩み寄り、 「あの世もこの世もかわらんだろ」と肩に手をおいた。 Share

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Posted on 8th May 2010Comments Off on 塔のような
不透明な時間という景

 Voigtländer Ultron F2 40mm SL II Aspherical Ai-s を学習検証。やや解放よりで得る特異な画像が、時間を圧縮し不透明なゼリーのような印象を与える。コントラストと高い解像度のピークから、被写界深度の外へ唐突に光を時間へ溶かす様子は、空間の奥行きといったことよりも、時間の変異のようなものを体感として持つことになる。この奇妙でダイナミックな運動的な要素は、標準から望遠系の明るいレンズの、所謂美麗なボケ味といったものと一線を画すると感じるのは、たとえ誤った知覚であっても構わないと思える。  光景が空間である自明から、光景が時間であると光が示すということは、光の速度、光の運動がそこに示されているような気もしてくる。世界現実が、実は不透明で解析が困難な真綿でできあがっているのだと、このレンズが明かしていると重ねてから、絞れば差異を解消して、むしろ平坦な世界が現れ、それはそれで時間と空間が失せた画像となり、平面的なグラフィックの別の次元が示されるのだが、この国の「輪郭」文化へ符号しすぎて、うすっぺらな紙ものに転落するなと、このレンズ独特な「間合い」をもう少し修行せねばなるまいと考えた。  もとよりこちらには「弄り壊す」性癖があり、カスタマイズとは違い、例えば買ったばかりの破綻のない完成したものを、都度台無しにしてきた。そういった性癖と、手の平に乗せて眺め続ける検証癖(これはパズルピースから別の見解を得る、例えばサスペクト探索とも似ている)が加わって、最近は、撮影衝動よりも、その結果検証に、充実感を感じはじめ、時には、こちらが撮影しなくてもいいとも感じるようになる。そうか、簡単には、性癖の「弄り壊す」ことのできない「撮影画像」が、斥力として、この性癖に拮抗しているから、こうも長い間つき合うことができるのだと腑に落ちた。   Share

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Posted on 26th April 2010Comments Off on 不透明な時間という景
唐突な閃きと映画という複雑

 連続する「鉛の花」といういけ好かない形であったが、ふいに辿り着いた。これでいいという安堵から身を遠ざけて、暫く眺めていた。この安上がりの唐突な「安堵」には憶えがあった。青年の頃、夜中歩き回って重く平たい青御影石を引きずって狭い部屋に持ち込み、林から切り出した手首の太さの削り出した樹々の枝を加えて滑稽な「夢中」を組み立てたものと似ていた。背後から何かその「安堵」は恥が染込まれているなと、実は自身の声と知っている呟きがあった。  年齢と世代という生に支えられた自然があって、それは唐突な「安堵」とは違った文脈を既に生きている。地味に鍛えた所謂熟練の生業からふと逸れて、それまでとまるきり違った、「クレヨンの絵」を上手に描いたとして、その絵を眺める「安堵」は、小さく何か空しいことと似ている。  然し、空しさまで、夢の話だった。夢は断裂して続いた。  深い山の中、記憶では3人の筈だったが、4人が崩れ断層が現れた崖の前で、指先を触れ、もの静かに並んで立っている。横顔が見え、なるほど俺たちのあの頃と実に良く似ている。あんなにも若かったなどと思った。捏造が加えられるのは仕方がない映画だから。友人のひとりが監督の演出に対してそう囁いた。この国では著名な他の作品も幾つか観て知っているが初対面の監督に、この映画は何を示すのか詰め寄っていた。そして、思いがけないテーマと事実、「友人の親族の社会的な病」へ向けられていることを知り、酷く落胆する。そんなことが大切なのか。その為に俺たちはあの崖の前に立っていたわけではないと、記憶の三人へ申し出ると、ああ、あの時の事は誰にもわからない。とそれぞれが諦めて老いた表情で答えた。  映画ではないが映像と、言語に近寄る記憶化へ傾いた静止画像を交互に延々と扱う時間の中、思念が捩れて生まれた夢だと思った。個別と連なりという「点と線」がモールス信号のように脳内に鎖のように打ち込まれ、その鎖の錆のようなものがドーパミンを刺激し続け、本来の細胞能力の限界を示したかと思ったが、新しく手元に広がる錆の無い連なりを見下ろせば、限界は消えたような促しに誘われる。 Share

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Posted on 22nd April 2010Comments Off on 唐突な閃きと映画という複雑
Rachmaninoffのレンズ

 Arthur Rubinstein (1887~1982) の、Rachmaninoff (Серге́й Васи́льевич Рахма́нинов 1873~1943) : Prelude In C Sharp Minor, Op. 3/2, “The Bells Of Moscow” を繰り返し聴きながら、RubinsteinとRachmaninoffの年譜を辿りつつ、どういうわけか、「Rachmaninoffの(と云う)レンズ」という言葉が生まれた。言葉にとりたてた意味等ないが、ほぼ同時期を生きたふたりの人間の音がどこかレンズのように時代の光を集めてぼんやりと届けているような気は確かにした。  16歳のキエフ音楽院卒業時にピアノ協奏曲第3番を弾いた、Vladimir Samoilovich Horowitz (1903~1989)のほうが、レンズの絞りの役割のレヴェルが上のような気もするが、CDの確認は後日とした。 Horowitz(age 83) – Scarlatti Sonata L33 (Moscow 1986) Chopin / Horowitz   Share

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Posted on 31st March 2010Comments Off on Rachmaninoffのレンズ
すべて0からピークへ立ち上がらない

  ある顕われが印象を超えたなにがしらの感銘に触れると、これまでその顕われをもたらした人間の文脈を追うというやり方に従ってきた。これは、同じ小説家、映画監督、画家などの、固有な文脈を追って、一回の表象化の唐突な力の根源を探すようなものであり、同時に独りの人間の生を辿ることでもある。そして面白いのは、奇跡的な出会いの時に生じた「彼」を辿るきっかけとなった「感銘」は、前後に構想される「彼」の作品を知る事で、その意味合いが変容していくことであり、辿り終えて再びあの時の「感銘」を迎えようと受容の姿勢を構えると、すでにそれは独りの人間の存在自体の印象へ変換され、受け止めていた筈のエッセンスが、時には、自らの錯覚であったと自身の未熟を呪うこともある。そして呪いながらも、最初は単色に切り詰めたと見えた色彩が、細分化し層を成し、「感銘」を逸脱したような深い淵の中で、体液のような粘りになるほどと唸るわけだ。  ではなぜ、意識に働きかけるべき印象的な人間の「作品」が、自らに絶えず必要なのかと考えて、簡単に云ってしまえば、翻って同様の行為者でありたいと願っているからであり、そういった働きかけという構想に囚われているともいえる。この幽閉は遺伝子の問題かもしれない。囚われていなければ終生オスはメスを、メスはオスを求めるだけの幸せに充足するかもしれない。精神に平等に働きかける薬の開発は、その処方や副作用、あるいは、常態といえるべき「精神」というもの自体、曖昧な「フィクション」のようなものだから、例えば、ストレスや精神的疾患を持つ人間にとっても、処方する側にとっても、危うい扱いとなる。  「感銘」には、倫理、物語、関係、明快なイメージと手法などが、黙示録のように端的に示される。これは、現実に対して即効性のある認識へと繋がり、抗鬱薬、抗躁薬で常態復帰を促す投薬治療の身体的改変と違った、知覚認識世界の拡大を促すものとなり、故にやめられないという中毒性がある。  この中毒性を営みとして、感応する日々を送っていた外と内の媒介者であるシャーマンなどが、立場的には近い。いずれ、シャーマンと芸術家の関係も証される。   Share

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Posted on 30th March 2010Comments Off on すべて0からピークへ立ち上がらない
牽引

 ペンタのおそらくデジ645が1ヶ月後に発売されるらしい。 問題は価格だが、大型レセプターの中型デジカメとして、現行の中盤のデジパックを凌げば、飛躍的に環境が変わる。要は使う人間の数だから。  最高の技術は、衛星上で外宇宙に向けられているが、645デジタルが日常に向けられると、このプロダクトに、人も他のデバイスも牽引され、世界は変わる。  開発を進める人々は、それなりの達成感があるだろうが、ただ、良いものが現れてから、遅延して世界が変わるのは、世の常とはいえ、なんだか物足りない。  無論、このプロダクトの効果に全体が恩恵を受けて、気づくには、更なる遅延があるにしろ、では、そのクオリティーが、更に高性能の廉価版出力デバイス開発を促したとして、それに慣れていく人間の感覚の果てには、何が待っているというのだろうか。  検証的な探索機器、あるいは絵画の筆のような奔放なツール、そのいずれでもない目的を孕んだとしても、実は、最後迄高性能であるのは、人間の知覚能力であったと気づいて眠りに就く時、何を思うか。溜め息ひとつか。  コンパクトで高性能をうたったハンディーのデバイスには、限界があり、おもちゃのように使えるが、いざという時には、その程度が知れる。そういう黎明期を経て、ある種の空間をボリュームをもって抱きしめる知覚が育つ時、人間の住まう空間は随分、今のものとは変わるのではないか。などと。  折角の素晴らしい製品出現に際して老婆心がぽつぽつ生まれる理由のひとつに、最近は、写真の捉える「空間」に興味が移行しはじめたせいもある。 Share

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Posted on 20th February 2010Comments Off on 牽引